犬もしゃもしゃしたい。
さばいでぃー。(言い飽きた)
さのしほです。
最近感じていること。それは、
判断力と自信のなさが悪循環を招いているということ。
判断の基準になる理由づけをしなくちゃいけない。でもすぐ人の意見に共感してしまう。つまり、流されて意見が変わる。
例えば、「これがラオスの文化だ」と言われたらそれ以上言えることがない。私からすると合理的ではない。けどラオスの文化(+相手の考え方)を理解したい気持ちもある。むずい。
思い返せば子供の頃から、論破しようとすると疲れてしまって諦めてしまう。ぶつかるの嫌いだし辛い。なにより、自分が言っても駄目だろうなってスタンスに入ってしまう。
あと嫌われたくないとかも考えてしまう。かと言って意見を受け流せるだけの器量はなく、悔しさと悲しみだけは残ってしまう。
一見攻撃的な人や、自分勝手に振舞っている人の存在は敬遠しがちだけど、そういう人に限って自分の意思があって芯があるよね。すごい。
「言語の壁」「文化の壁」というけれど、それ以前に自分の課題も山積みです。
地球上どこにいても結局は人間同士の関わり合い。日本での自分の課題が、外国に来て抹消されるなんてことは起こるはずもなく。
生き抜いていくのってこんなに難しいものなのか。みんなはどうやって生きてるのー。教えて〜🕊
P.S. ラオスで可愛いと思える犬に出会えるのは1/50匹くらいの確率。
隣人ってだれのこと?
サバイディー!さのしほです。
前回の記事を読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
なんか響いた!いいね!という声をいただけて嬉しい限りです。こういうフィードバックをいただける方々の存在も大切にしていきたいですよね...
↑ちなみにこの写真は、ラオスでは珍しいプロテスタントの教会!私の任地サワンナケートにありますよ〜みんなおいで〜
そして、そんなフィードバックの中に、「隣人愛ってなに?」という声がありました。その時私は、自分でワード出しといてあれなんですけど、ハッキリ答えることができませんでした。なんだか悔しくて、その後ちょっと調べてみたので今回は「隣人愛」に関する私なりの解釈を少しだけお話ししたいと思います。
高校の世界史や倫理で習ったくらいのあやふやな知識なので、読んでくださる人の中に詳しい方やキリスト教徒の方がいたらごめんなさい。
以下、聖書の話が中心になりますが、キリスト教や聖書を説きたいわけではないということをお断りしておきますね
隣人ってだれのこと?
「隣人愛」とは、旧約聖書の中でキリストが説いている「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉から来ている言葉です。神を愛することと同様に、隣人への愛がもっとも大切なのだそう。
これって「情けは人の為ならず」じゃない?と思ったあなた。私もそれ、思いました。ところがこの隣人愛は、結局自分に利益があるの?ないの?というところまでは語られていないんですよね。
でもこんなエピソードがあります。
イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。
追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしているサマリア人は、そばに来ると、その人を見ると哀れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
(ルカによる福音書10章30-36節)
私が考える大切なところは、最後の「だれが追はぎに襲われた人の隣人になったと思うか」という言葉からも分かるように、追はぎに襲われた被害者を助けたサマリア人は、元から追はぎ被害者の隣人というわけではなかったというところです。(ああ、またわかりづらいな)。
つまり、自分から進んで困っている人の隣人になることが大切であり、それと同時に自分のように愛したその相手が結果的に隣人になり得るということです。
最初から、「自分に利益をもたらしてくれる人にしか近づかない」とか「自分は頑張っているのに何も返ってこない」という考えを持つ盲目な人に、隣人という存在は現れないのかもしれません。この点に関しては、太宰治の「走れメロス」を思い浮かべてもらえると分かりやすいかも...
国際協力と隣人愛
一応ブログのプロフィールにも、国際協力と書いてあるので、少し絡めて考えたいのですが...
ラオスで生活をしている限りでいうと、「みんな隣人!むしろ家族!マインド」がすごい。そんなຊ່ວຍກັນ( スワイカン : 助け合い )の精神に圧倒されて、「たまにはほっといて...」と思ってしまうこともあります。現地の方の優しさに応えきれない自分が嫌になったりもします。
でも、ふと考えると、そうやって嫌になる理由は、「これまで自分から与えることをしてこなかったからなのでは?」と思うようになりました。自分は何もしていないのに、してもらうことに罪悪感があったりして。
そんなことに気づけたからこそ、前回の記事でもお話ししたように、与え続けることやGIVE&GIVE、そして今回お話しした「隣人愛」の心を大切にしたいと思うようになりました。活動の舞台がたまたま外国だっただけで、人間関係を構築する上で大切なことはおそらく、世界中どこを見ても変わらないのかもしれません。
国際協力と銘打ってやって来てはいますが、実際のところ現地の方々に助けられてばかりで、むしろ私はサマリア人に助けられる追はぎ被害者の方。いつかは追はぎ被害者も、サマリア人に感謝を返せればいいな。
最後に
そういえばラオスは仏教国です。ちなみに私は無宗教。いろんな考え方を取り入れていこうっと。
そして今回も腹立つくらい理屈っぽい記事になってしまったので、次こそ楽しい記事を目指したいです。ラブアンドピース。
おまけ
ラオスのお寺にはよく、曜日毎の仏像があります。自分の生まれた曜日に仏さまがいるんです。
私が生まれた土曜日の仏さま↑
与え続けること
サバイディー!さのしほです。
今週は、任地に派遣されてからはじめて首都ビエンチャンへ上京しておりました。↑の写真は、任地サワンナケート。緑豊かすぎて恐ろしい...
上京したのは、活動の出張と、日本に帰任される隊員さんの最終報告会に参加するためです。活動の出張は、任地での準備も含めてかなり大変でした... が、今回お話ししたいのはそこではないので飛ばします!
ビエンチャンに上京するのに楽しみだったことの一つに、ほかの隊員さんとお会いすることというのがありました。
というのも、わたしの任地であるサワンナケートではここ最近隊員の数が減る一方で、日本人とお話しすることがどんどん少なくなってきているからです。
そして実際ビエンチャンでは、帰国する隊員の最終報告会を聞いたり、出張で仕事をしたり、ドミトリー(JICA所有の寮)で寝泊まりする中で、いろんな人の考えや意見に触れる機会を得ることができました。
その中でも、特に自分に響いたことを今日はひとつだけ紹介したいと思います。それは、
与えられたいなら、自分が与えるべきということです。
エピソード1: ナンカくれる人
話は遡ります... わたしがこの協力隊としてラオスに来ようと思ったきっかけでもある尊敬できる人がいました。尊敬できるとは言っても正直それはとても感覚的なところで、その人のどこが尊敬できるのか、言葉で表現することはできなかったのです。
すぐ思いつくような例を挙げるとすると、ユーモアがあるとか、仕事ができるとか、統率力があるとか、人付き合いが上手いとか... でもそんな人って他にもきっといますよね?もっと根元にあるもの、もっと決定的なものが一体なんなのか分からず、ずっと考えていました。
それで今回ビエンチャンで気づいたことは、この人ずっとナンカくれるなということです。え、なにを?お菓子を?そう、お菓子を。
マジな話、その方はいつもお菓子をくれます。だけど、受け取っているのは実はお菓子だけじゃなく、しんどい時に救われた〜って気持ちだったり、自分のこと見てくれているんだっていうような、モノよりももっと大きな安心感だったりするんですよね。
このお菓子の話のほかにも、気づいたことはまず自分で率先してやるところだったり、小さいことでも人を助けることを手間だと思わない姿勢だったり...
その人が本当に心からやっていることかは分かりませんが(もしかしたらめんどくさいと思ってるかも)、この人みたいに他人に喜んでもらえる行動をすることは、労力が必要で、私にとっては簡単なことではないのです。そして時々、そんな自分の心の狭さにがっかりしたりもします...
エピソード2: 気付ける人
これは同期の協力隊員の話。4ヶ月ぶりにビエンチャンに上がってテンションも上がっているその最中に、その人は私に一つの封筒をくれました。その中にはなぜかホッとアイマスクと、生姜湯の元が入っていて、わたしの頭の中は「?」。するとその人はとバリバリの関西弁で、「インスタのストーリーで寝れへんって言っとったからさ〜」と言ってくるわけです。
この文章を読んでくださっている方の中にインスタのストーリー機能を知っている方がどれだけいるか分かりませんが、あれって、なんかその時の状況や思ったことをぽつっと投稿するだけの24時間機能なんですよね。しかも、「こいつ寝れないアピールしとるわ」と思ってもまあおかしくはないわけですよ。(わたしだったらそう思います)。でもその人は、私のしょうもないその一投稿をわざわざ拾って気にかけてくれて、しかも日本製で貴重な物品を分けてくれて... 想像できないかもしれませんが、日本製の物品はラオスでは手に入らないし、あったとしても高級なものです。
ここで私は、ありがとうという気持ちと同時に、「あなたがアメーバ赤痢になったとき、冗談半分で美味しそうな豚の角煮の写真を送りつけてしまったどうしよう..」と、とてもとても後悔する羽目になりました。
このエピソード②にも、エピソード①と同じように、細かいことに気づいて、自分の資源を分け与えてくれる、気遣いと優しさと実行力があるというところに共通点があると思います。
これらを踏まえて...
バーニングマンって知っていますか?
「バーニングマン」は、サンフランシスコで巨大な人形を燃やしながら8日間踊る、奇祭とも言われるイベントのことです。
ただ、このお祭りが奇祭と言われるには理由があって、それはお金を一切使えないということです。8日間の生活の中で、参加者は、それぞれが持ち寄ったモノを交換または譲渡することによってのみ、モノを得ることができます。
私がこのお祭りを知ったのは、夜暇すぎてYouTubeを嗜んでいたときのこと。中田敦彦(オリラジ)さんによる、「Google創業者ラリー・ペイジの偉人伝」を見ていました。ちょっとややこしいね。ごめん。
その話の中で、「バーニングマン」はラリー・ペイジの理想郷であり、GIVE&GIVEによってのみ人は幸せを得ることができるとされていました。しかも、与えれば与えるほど、その人にはモノが集まってくるのです。これはなぜかというと、与える人のことをみんなが見ているからだそうです。最初は、「あいつあげてばっかだな」→「いや大丈夫か?」→「いいやつだな」→「自分もなにかあげよう」という心理が正の連鎖を生むんだとか。
どうでしょうか。少し想像がつきますか?ここでいう「モノ」とは、単に物品のことだけではなく、人や信頼にも当てはまります。
この話を知った時、私の中に何人かの顔が思い浮かんできました。そしてその上でエピソード①と②の出来事に出会い、今まで自分の中で考え続けていたあらゆることに納得することができました。
今まで自分が尊敬してきた人たちは、人に与え続けていることで信頼を得ているんだ。そして、
与えられた人がもらったと感じる(錯覚する)ものが、「愛」なのかもしれないと。
喉が乾くなら水を与えて、愛されたいなら愛さなきゃ!!!意識してないけどコレ、「情けは人の為ならず」やキリスト教の「隣人愛」に似てるね。そしていつも思うけど、自分が考えたことって大体どっかの誰かがもうすでに考え出してるよね。不思議。
最後に
わたしが協力隊としてラオスに来るにあたって、大きな目標がありました。それは、理想の人間像に近づくことです。
「理想の人間像」を簡単に言うと、私の場合「自分の尊敬できる人」のことですが、「なぜ尊敬できるのか」って説明しにくいですよね... それが今回の上京で少しだけ鮮明になったのでご紹介してみました。
上記でご紹介したエピソードの他にも、上京中・任地活動中問わず、たくさんの方々にお世話になりました。今回ご紹介できなかった方々にもとっても感謝しています!アカ族のバッグ配ってくれる関西弁の先生とかね!
「協力隊に参加したから」「海外に来たから」「尊敬する人の近くにいるから」ということだけで自分が変われる訳ではないけれど、日々感じる人の優しさや気遣いを見逃したくないし、もっと返していける人になりたいなと思うようになりました。
みなさんは理想の人間像ってありますか?また、尊敬できる人はどんな特徴を持っていますか?
バーニングマン面白いので気になる人は調べてみてね。
おまけ
こないだບຸນແຈກເຂົ້າ(ブンジェークカオ)というお葬式後の催しに参加してきました。お葬式は済んでいるからか、思っていたよりかなりフランクな雰囲気。
お坊さんがご飯を食べて、その余りをみんなで食べます。
ラオスではこんな催しじゃなくても日々、「ご飯食べて行きなよ!」というແບ່ງກັນ(ベーンカン:分け合い)の精神を強く感じていて、大好きな文化になりつつあります。
うれしい変化
サバイディー!さのしほです。
前回までの記事では、お隣のカムワン県コンロー洞窟への旅をリポートしました。
コンロー洞窟のリポートはこちら
そして今日は、旅行から帰ってきて1週間が経過した土曜日ですが、この1週間で気づいたことがあるのでそれについて書いていきたいと思います。
それは、旅行に行く前と比べて、自分の身にさまざまな嬉しい変化が起きているということです。
変化1: 心がスッキリ
旅では丸2日間、同じ任地にいる日本人の協力隊員と一緒に時間を過ごしました。これがメンタルヘルス的にとても良かったようです。
というのも、日本語で話すと口数が増えます。日本にいた時なら話さないような些細すぎるエピソードも、言語が通じるので話したくなってしまうんですよね。
今思うと「これ聞いて!感」が強すぎたという反省があります。オチのない話を何回もしてしまいました。あと、いつもより激し目にツッコミを入れてみたりとか... 思い返すだけで恥ずかしい自分の言動。
でも、こうやって普段何気なく思っていることを誰かに伝えたり、頼れる先輩隊員に相談したりすることで、頭の中がすっきりしてリフレッシュすることができたのは間違いありません。
変化2: 同僚とのコミュニケーションが円滑化
これには2つの理由があると思っています。
1つ目は、変化1でもお話しした通り、心がスッキリ明るくなったことです。今までは、自分が緊張していたり、悩んだり、調子が悪くても、言葉にしないために周りの空気が重くなってしまうことが多々ありました。さらに、ラオス人同士の話に入って行けないことにストレスを感じたり、うまく笑えなかったりということもあったんですよね... 気づいたらずっと口角上げてるやん...みたいな。
海外に行ったことのある方ならこのような状況に陥ることがあるかもしれませんが、私にとっては初めての体験でした。しかも、日本ではコミュニケーションに関して悩みを感じたことはほとんどなかったので、日本で認識していた自分とは真反対の状況になっていくことに戸惑いを感じていたのです。特に海外で仕事をする上で、非言語コミュニケーションってとても大事だと分かってはいたけど、なかなか実行に移せない自分もいました。
でも!心がスッキリ明るくなったことで、同僚と話すのが怖くなくなりました。月並みな言葉かもしれませんが改めて、心から笑えるって本当に大切だなと思います。
コミュニケーション円滑化の理由2つ目は、自分自身を客観視することができるようになったことです。
今回の旅は、自分のほか3名の協力隊員と同行させてもらいました。道中お話をする中で、先輩隊員のいろんな苦悩を聞けたのがとても大きかったように思います。さらに、旅の中で『自分以外の日本人が現地の人と話す中でうまく伝わらないことや言ってる内容がよく分からない』状況を目にすることは、普段の自分を第3者の目線で見ているような感覚でした。
すると普段、活動先には日本人が自分ひとりしかいないために、知らず知らずのうちに「悩んでいるのは自分だけ」という感覚に陥っていたことに気づきました。言うなれば、独りよがりなひとりぼっち。しょーもないですねー!笑 みんな悩むのに!
当たり前のことなんですが、気づかなかったんですよこれが。自分で思考停止していたせいもありますが、なにせ生活環境や交友関係が変化しない中で言語の壁もあり、どんどんひとりの世界に閉じこもって行ってしまっていたのかもしれません。言語以外のさまざまな壁を乗り越えて活動している先輩隊員とお話できたことで、自分はどれだけ小さい人間だったんだろうと反省しつつ、第3者の目線で自分を見つめ直すことができるようになりました。
「自分の言動は同僚にどう映ってるんだろう?」「どんな外国人が職場にいたら楽しいかな?」そんなことを想像しながら話していると、日本にいた時のように楽しい自分に戻ることができました。変な意味じゃなく、まるで演じてるみたいで楽しくも思えます。(演じる感覚が強くなってきて苦しく感じてきたらその時はまた考えます!)
変化3: ラオス語って楽しい!
この感覚を取り戻せたのは、旅先の人々との交流のおかげです。ラオス語という言語に限ったことではありませんが、現地の言葉を話して、現地の人と意思疎通できる嬉しさ・楽しさ・発見に触れられて、「もっと話したい!」という気持ちがモリモリ。
この数ヶ月活動先では、ラオス語の波に飲まれてしまい、「もう一度言って」とか「どういう意味?」というワードを使うことが億劫になっていました。それは、何度も聞き直すのって疲れるし、「もういいよ」とか「彼女はラオス語分からないから」って言われると精神的ダメージが半端ないからです。その部分だけは聞き取れてしまうから余計に落ち込む。でもそうやって聞き流すことって、全然成長に繋がらないし、相手にも自分の意欲が通じないですよね。
この1週間は、「ボーカウチャイ(わからない)」というワードをこれまで以上に使いました。すると意外や意外、私に嫌な顔をする人なんていないんですね。なぜ気づかなかったんだろう。これもひとつの意思疎通だし、自分を分かってもらうために必要な手段なんだと知ることができました。加えて、「分からない自分」を自分で受け入れることも大切なのかもしれません。
最後に
うんたらくんたら書きましたが、結論はひとつ。ストレスマネジメントは大切!!
私も外国に長期滞在することが初めてで、全く予想できなかったのですが、意外と日々ストレスが積み重なっている可能性があります。そしてその対策は、実際その状況になってみないと分からないものなのかもしれません。
今回、先輩隊員にご一緒させていただいた休日の旅が、私の場合よい効果を発揮してくれたのでご紹介してみました。とても充実した貴重な機会を頂けて本当に感謝しています。みなさんのリフレッシュ方法はなんですか?
ちなみに普段の土日は家でユーラーラー(ぼーっと)してますよ。
おまけ
ເຂົ້າໜົມຕົ້ມ(カノムトム)というお菓子。
カラメルと絡めたあまーい細切りココナッツを餅粉の皮で包み、バナナの葉っぱ包んで蒸します。
一緒に包ませてもらいました。蒸し立てはさらにおいしい...
秘境コンロー洞窟への旅3日目
コンロー洞窟リポートはこちら↓
秘境コンロー洞窟への旅2日目・後編 - メコン川からこんにちは
2日目にコンロー洞窟での観光を終え、Sping River Resortに宿泊した日の朝、そのままホテルで朝食を食べました。
いろんなメニューがある中、私が選んだのはフレンチトーストとフルーツのセット。
夕食に引き続き、相変わらずのお上品な優しいお味。コーヒーはおそらくインスタントですが、優雅な雰囲気の中で飲むと、コピルアクでも飲んでいるような気分に...
そしてお待ちかねのフレンチトースト
大袈裟かもしれませんが、この1ヶ月で一番感動した食べ物かもしれません。(失礼か)。久しぶりに食べた洋風なお味にレーズンの苦味、そして蜂蜜の優しい甘さ。
そしてふと川に目を向けると、青く透き通った水と茶色く濁った水がぶつかり合ってなんとも不思議な光景が。
時間があればカヌーを漕いだり魚を釣ったりして、連泊するのもありだなぁと真剣に思いました。時間のある方ぜひやってみてください。
よし、帰るぞ。
帰りは、行きに来た道をそのまま辿って帰るだけ。遠いことがわかっているだけに億劫になる。が、耐える。
コンロー洞窟に行くまでの道のりはこちら↓
秘境コンロー洞窟への旅2日目・前編 - メコン川からこんにちは
帰りのドイサンでは、現地の人と時折おしゃべりをしながらゆったり帰ってきました。行きでは寝ていて見逃した風景を見ながら、カオピヤクの原料はなんだとか、家族はなにをしているのかとか、お話をするだけでも現地の人の生の暮らしを一部垣間見れたような気がしました。
7時前にホテルを出発してから約5時間でターケーク市内に到着。
ドイサンのターミナルから歩いて行ける距離にLe Bleuというカフェがあったので入ってみることに。
ご飯の量が少なくて、いかにもカフェ飯というかんじでしたが、注文したカフェオレはエスプレッソがよく効いていて美味しかったです。
お店の近くでトゥクトゥクを拾い、バスターミナルに向かいました。出発まで時間があったので、市場を散策して、カノムパーン(ເຂົ້າໜົມປ່ານ)というターケーク名物のお土産を買いました。豆で作られた餡を包んだお餅で、バナナの皮に包まれています。写真を撮るのを忘れてしまいましたが、職場の方々にはとても喜んでもらえましたよ。しかも食感は日本のお餅に似ていて味もかなり美味しかったので、お土産にも軽食にもおすすめです。
帰りのバスも相変わらずぎゅうぎゅうです。
自宅に着くと、お隣さんの先生が家の前で落ち葉を燃やしていました。帰ってきた感。和む....
というわけで、今回はサワンナケートからターケークを経由してコンロー洞窟までの旅をリポートしました。
日本人の方と丸2日一緒に過ごして、日本語で話すのはかなりリフレッシュになりましたし、ラオスの自然を観光という形で体験したことはなく、とても贅沢で充実した週末でした。
また機会があればラオス各地を巡ってみたいです!
コンロー洞窟への旅まとめ
秘境コンロー洞窟への旅2日目・前編 - メコン川からこんにちは
秘境コンロー洞窟への旅2日目・後編
コンロー洞窟探検編
ここまでの移動はこちら↓
ターケークから片道6時間半で、やっと到着。
時間は只今14:00で、閉園時間は16:00。
所要時間は約2時間と聞いていたのでちょうどいい時間に着きました。
入場料は船や装備のレンタルを含めて65,000Kip(約840円)。これはおそらく外国人値段ですね〜。
入って10分歩いたところでライフジャケットとヘッドライトを貸してもらい、川に向かいます。
船は3人乗り。
ひんやりとした暗闇の中どんどん進んでいくと
ライトアップされているポイントで15分くらい探検。
船に乗ってまた出発。ライトアップされていない暗闇の中にも、こんな風景があるんだろうなぁ...と思いながら、真っ暗でひんやり気持ちのいい空間に浸ります。目を閉じてエンジン音と水の音に耳をすませながら、時には夢の世界へ行ったりもして、お尻が痛くて目が覚めたりもして。
20分くらい進んだところの村で一休み。
ジュースやお菓子が売られている売店でまったりしつつ、その横では機を織っている方々がいました。
本当に美しい布たち。
少し体験もさせてもらって、商品を物色してみましたが、買いたいものは見当たらず。
布は綺麗だけど何に使えばいいの?
ポーチのクオリティ低いなぁ...
シン(ラオスの巻きスカート)だったら買いたかったなぁ...
などなど。値段が安く、布のデザインや質が良いだけに、少しの工夫で売れるのにな...と残念な気持ちになりました。協力隊員がコミュニティ開発で来るところはこういったところなのかもしれません。
村で30分ほど休憩して、また同じ道を引き返しました。
本当に綺麗な自然の中、残念だったのは、豊かな自然が溢れているのに、洞窟の中でゴミがぷかぷか浮いていること。
ラオスには環境について学ぶ機会もありますが、ゴミのポイ捨てが習慣づいてしまっています。この問題は、普段から気になっていましたが、今回の旅でより一層興味が湧きました。よくない習慣が身につく前に、小学生〜大学生の年齢で行動を変容させていける教育ができたらなあと思っています。
そして本日のお宿は、コンロー洞窟からトゥクトゥクで約15分のSpring River Resort。
ここは最高というほかありませんでした。
私たちは宿泊費の面から、トイレとシャワーが共同のガーデンビューに宿泊。倍くらいの値段でリバービューにも泊まることもできます。
トイレとシャワーの共同は少し不便かもしれないとも思いましたが、どこをとっても清潔で、ラオスでもこのレベルのホテルがあることに感動しました。
1つの棟に2部屋あり、ツインルームかダブルルームか選ぶことができます。かなり壁が薄いので、気になる方は注意が必要かもしれません。私はそんなこと気にする間もなく爆睡しましたけどね...
夕食は川が見えるホテルのガーデンレストランでいただきました。
ペンネ、ホワイトカレー、揚げタンマークフン(パパイヤサラダ)、フルーツなどを注文しました。
ラオス料理は外国人の旅行者向けで、少し物足りない味付けではありましたが、とてもお上品。
任地における日常生活の食事は、近所のローカル食堂に行ってラオス料理を食べたり、市場に買い出しに行って自炊をしています。
ラオス料理って、基本的に唐辛子と味の素で味付けされる(と思ってる)ので、なんだか飽きちゃうんですよね。
このホテルで出されるいつもの味付けと違う食事に、めちゃくちゃ興奮しました。
(もちろんラオス料理も大好きですよ!)
秘境コンロー洞窟への旅2日目・前編
タケークから秘境コンロー洞窟までの行き方を紹介します。
サワンナケートからタケークまでの移動はこちら↓
今日は、カムワン県のタケークThakhek中心地からスタート!
前日ホテルまで送ってくれたトゥクトゥクのおじさんに朝のお迎えもお願いしたら、時間ちょうどに来てくれました。
朝6時にMekong Hotelを出発して、ドイサン乗り場へ。
コンロー方面へのドイサンは約1時間ごとに出てるみたい。
朝ごはんも食べたかったので私たちは7時半の便に乗ります。
定番の朝ごはん、カオピヤクເຂົ້າປຽກ
この日は雨が降っていて寒かったので、ドイサン乗り場の売店でカッパ(30,000kip=約390円)を買いました。
これがあとから効いてくる...
ドイサンは雨を凌いでくれますが、涼しい日はかなり寒く感じるので、特に長距離移動の場合軽い上着は必須だと思います!
ひたすら走ること4時間...
11時半にクンカム町(KhounKham: ຄູນຄໍາ)に到着。
ここでドイサンを乗り換えます。
ここまでの運賃は50,000Kip(約650円)。
あるのは、だだっ広いバスステーションと、小さいタラート(市場)。
腹ごしらえにフォーをいただきました。
次のコンロー洞窟行きは午後1時半。
ここからビエンチャン行きも出ているみたい。
出発時間まで暇すぎて途中ヒッチハイクも試みましたが、コンローは僻地にあるためなかなか捕まらず...
そうこうしているうちに乗りたいドイサンが到着したので、30分早めに出発してもらいました!ラッキー
クンカムからコンロー洞窟までは約1時間。
25,000Kip(約320円)
朝が早かったのでめちゃくちゃ爆睡できました。長距離移動がツライ方は寝不足で挑むのがいいでしょう。寝違える可能性大ですけどね...
午後2時!ついにコンロー洞窟へ到着!
移動まとめ
タケーク7:30発 ⇒クンカム11:00着
(50,000Kip=約650円)
クンカム13:00発 ⇒コンロー洞窟14:00着
(25,000Kip=320円)
遂に来ましたコンロー洞窟!
その様子はこちら↓