与え続けること
サバイディー!さのしほです。
今週は、任地に派遣されてからはじめて首都ビエンチャンへ上京しておりました。↑の写真は、任地サワンナケート。緑豊かすぎて恐ろしい...
上京したのは、活動の出張と、日本に帰任される隊員さんの最終報告会に参加するためです。活動の出張は、任地での準備も含めてかなり大変でした... が、今回お話ししたいのはそこではないので飛ばします!
ビエンチャンに上京するのに楽しみだったことの一つに、ほかの隊員さんとお会いすることというのがありました。
というのも、わたしの任地であるサワンナケートではここ最近隊員の数が減る一方で、日本人とお話しすることがどんどん少なくなってきているからです。
そして実際ビエンチャンでは、帰国する隊員の最終報告会を聞いたり、出張で仕事をしたり、ドミトリー(JICA所有の寮)で寝泊まりする中で、いろんな人の考えや意見に触れる機会を得ることができました。
その中でも、特に自分に響いたことを今日はひとつだけ紹介したいと思います。それは、
与えられたいなら、自分が与えるべきということです。
エピソード1: ナンカくれる人
話は遡ります... わたしがこの協力隊としてラオスに来ようと思ったきっかけでもある尊敬できる人がいました。尊敬できるとは言っても正直それはとても感覚的なところで、その人のどこが尊敬できるのか、言葉で表現することはできなかったのです。
すぐ思いつくような例を挙げるとすると、ユーモアがあるとか、仕事ができるとか、統率力があるとか、人付き合いが上手いとか... でもそんな人って他にもきっといますよね?もっと根元にあるもの、もっと決定的なものが一体なんなのか分からず、ずっと考えていました。
それで今回ビエンチャンで気づいたことは、この人ずっとナンカくれるなということです。え、なにを?お菓子を?そう、お菓子を。
マジな話、その方はいつもお菓子をくれます。だけど、受け取っているのは実はお菓子だけじゃなく、しんどい時に救われた〜って気持ちだったり、自分のこと見てくれているんだっていうような、モノよりももっと大きな安心感だったりするんですよね。
このお菓子の話のほかにも、気づいたことはまず自分で率先してやるところだったり、小さいことでも人を助けることを手間だと思わない姿勢だったり...
その人が本当に心からやっていることかは分かりませんが(もしかしたらめんどくさいと思ってるかも)、この人みたいに他人に喜んでもらえる行動をすることは、労力が必要で、私にとっては簡単なことではないのです。そして時々、そんな自分の心の狭さにがっかりしたりもします...
エピソード2: 気付ける人
これは同期の協力隊員の話。4ヶ月ぶりにビエンチャンに上がってテンションも上がっているその最中に、その人は私に一つの封筒をくれました。その中にはなぜかホッとアイマスクと、生姜湯の元が入っていて、わたしの頭の中は「?」。するとその人はとバリバリの関西弁で、「インスタのストーリーで寝れへんって言っとったからさ〜」と言ってくるわけです。
この文章を読んでくださっている方の中にインスタのストーリー機能を知っている方がどれだけいるか分かりませんが、あれって、なんかその時の状況や思ったことをぽつっと投稿するだけの24時間機能なんですよね。しかも、「こいつ寝れないアピールしとるわ」と思ってもまあおかしくはないわけですよ。(わたしだったらそう思います)。でもその人は、私のしょうもないその一投稿をわざわざ拾って気にかけてくれて、しかも日本製で貴重な物品を分けてくれて... 想像できないかもしれませんが、日本製の物品はラオスでは手に入らないし、あったとしても高級なものです。
ここで私は、ありがとうという気持ちと同時に、「あなたがアメーバ赤痢になったとき、冗談半分で美味しそうな豚の角煮の写真を送りつけてしまったどうしよう..」と、とてもとても後悔する羽目になりました。
このエピソード②にも、エピソード①と同じように、細かいことに気づいて、自分の資源を分け与えてくれる、気遣いと優しさと実行力があるというところに共通点があると思います。
これらを踏まえて...
バーニングマンって知っていますか?
「バーニングマン」は、サンフランシスコで巨大な人形を燃やしながら8日間踊る、奇祭とも言われるイベントのことです。
ただ、このお祭りが奇祭と言われるには理由があって、それはお金を一切使えないということです。8日間の生活の中で、参加者は、それぞれが持ち寄ったモノを交換または譲渡することによってのみ、モノを得ることができます。
私がこのお祭りを知ったのは、夜暇すぎてYouTubeを嗜んでいたときのこと。中田敦彦(オリラジ)さんによる、「Google創業者ラリー・ペイジの偉人伝」を見ていました。ちょっとややこしいね。ごめん。
その話の中で、「バーニングマン」はラリー・ペイジの理想郷であり、GIVE&GIVEによってのみ人は幸せを得ることができるとされていました。しかも、与えれば与えるほど、その人にはモノが集まってくるのです。これはなぜかというと、与える人のことをみんなが見ているからだそうです。最初は、「あいつあげてばっかだな」→「いや大丈夫か?」→「いいやつだな」→「自分もなにかあげよう」という心理が正の連鎖を生むんだとか。
どうでしょうか。少し想像がつきますか?ここでいう「モノ」とは、単に物品のことだけではなく、人や信頼にも当てはまります。
この話を知った時、私の中に何人かの顔が思い浮かんできました。そしてその上でエピソード①と②の出来事に出会い、今まで自分の中で考え続けていたあらゆることに納得することができました。
今まで自分が尊敬してきた人たちは、人に与え続けていることで信頼を得ているんだ。そして、
与えられた人がもらったと感じる(錯覚する)ものが、「愛」なのかもしれないと。
喉が乾くなら水を与えて、愛されたいなら愛さなきゃ!!!意識してないけどコレ、「情けは人の為ならず」やキリスト教の「隣人愛」に似てるね。そしていつも思うけど、自分が考えたことって大体どっかの誰かがもうすでに考え出してるよね。不思議。
最後に
わたしが協力隊としてラオスに来るにあたって、大きな目標がありました。それは、理想の人間像に近づくことです。
「理想の人間像」を簡単に言うと、私の場合「自分の尊敬できる人」のことですが、「なぜ尊敬できるのか」って説明しにくいですよね... それが今回の上京で少しだけ鮮明になったのでご紹介してみました。
上記でご紹介したエピソードの他にも、上京中・任地活動中問わず、たくさんの方々にお世話になりました。今回ご紹介できなかった方々にもとっても感謝しています!アカ族のバッグ配ってくれる関西弁の先生とかね!
「協力隊に参加したから」「海外に来たから」「尊敬する人の近くにいるから」ということだけで自分が変われる訳ではないけれど、日々感じる人の優しさや気遣いを見逃したくないし、もっと返していける人になりたいなと思うようになりました。
みなさんは理想の人間像ってありますか?また、尊敬できる人はどんな特徴を持っていますか?
バーニングマン面白いので気になる人は調べてみてね。
おまけ
こないだບຸນແຈກເຂົ້າ(ブンジェークカオ)というお葬式後の催しに参加してきました。お葬式は済んでいるからか、思っていたよりかなりフランクな雰囲気。
お坊さんがご飯を食べて、その余りをみんなで食べます。
ラオスではこんな催しじゃなくても日々、「ご飯食べて行きなよ!」というແບ່ງກັນ(ベーンカン:分け合い)の精神を強く感じていて、大好きな文化になりつつあります。