メコン川からこんにちは

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隣人ってだれのこと?

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サバイディー!さのしほです。

前回の記事を読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

与え続けること - メコン川からこんにちは

なんか響いた!いいね!という声をいただけて嬉しい限りです。こういうフィードバックをいただける方々の存在も大切にしていきたいですよね...

↑ちなみにこの写真は、ラオスでは珍しいプロテスタントの教会!私の任地サワンナケートにありますよ〜みんなおいで〜

 

そして、そんなフィードバックの中に、「隣人愛ってなに?」という声がありました。その時私は、自分でワード出しといてあれなんですけど、ハッキリ答えることができませんでした。なんだか悔しくて、その後ちょっと調べてみたので今回は「隣人愛」に関する私なりの解釈を少しだけお話ししたいと思います。

高校の世界史や倫理で習ったくらいのあやふやな知識なので、読んでくださる人の中に詳しい方やキリスト教徒の方がいたらごめんなさい。

以下、聖書の話が中心になりますが、キリスト教や聖書を説きたいわけではないということをお断りしておきますね

 

 

 

 

 

隣人ってだれのこと?

「隣人愛」とは、旧約聖書の中でキリストが説いている「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉から来ている言葉です。神を愛することと同様に、隣人への愛がもっとも大切なのだそう。

これって「情けは人の為ならず」じゃない?と思ったあなた。私もそれ、思いました。ところがこの隣人愛は、結局自分に利益があるの?ないの?というところまでは語られていないんですよね。

でもこんなエピソードがあります。

 

エスはお答えになった。

「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。

追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

ところが、旅をしているサマリア人は、そばに来ると、その人を見ると哀れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

ルカによる福音書10章30-36節)

 

私が考える大切なところは、最後の「だれが追はぎに襲われた人の隣人になったと思うか」という言葉からも分かるように、追はぎに襲われた被害者を助けたサマリア人は、元から追はぎ被害者の隣人というわけではなかったというところです。(ああ、またわかりづらいな)。

つまり、自分から進んで困っている人の隣人になることが大切であり、それと同時に自分のように愛したその相手が結果的に隣人になり得るということです。

 

最初から、「自分に利益をもたらしてくれる人にしか近づかない」とか「自分は頑張っているのに何も返ってこない」という考えを持つ盲目な人に、隣人という存在は現れないのかもしれません。この点に関しては、太宰治の「走れメロス」を思い浮かべてもらえると分かりやすいかも...

 

 

 

 

 

国際協力と隣人愛

一応ブログのプロフィールにも、国際協力と書いてあるので、少し絡めて考えたいのですが...

ラオスで生活をしている限りでいうと、「みんな隣人!むしろ家族!マインド」がすごい。そんなຊ່ວຍກັນ( スワイカン : 助け合い )の精神に圧倒されて、「たまにはほっといて...」と思ってしまうこともあります。現地の方の優しさに応えきれない自分が嫌になったりもします。

でも、ふと考えると、そうやって嫌になる理由は、「これまで自分から与えることをしてこなかったからなのでは?」と思うようになりました。自分は何もしていないのに、してもらうことに罪悪感があったりして。

 

そんなことに気づけたからこそ、前回の記事でもお話ししたように、与え続けることやGIVE&GIVE、そして今回お話しした「隣人愛」の心を大切にしたいと思うようになりました。活動の舞台がたまたま外国だっただけで、人間関係を構築する上で大切なことはおそらく、世界中どこを見ても変わらないのかもしれません。

 

国際協力と銘打ってやって来てはいますが、実際のところ現地の方々に助けられてばかりで、むしろ私はサマリア人に助けられる追はぎ被害者の方。いつかは追はぎ被害者も、サマリア人に感謝を返せればいいな。

 

 

 

 

最後に

そういえばラオスは仏教国です。ちなみに私は無宗教。いろんな考え方を取り入れていこうっと。

そして今回も腹立つくらい理屈っぽい記事になってしまったので、次こそ楽しい記事を目指したいです。ラブアンドピース。

 

 

 

 

おまけ

ラオスのお寺にはよく、曜日毎の仏像があります。自分の生まれた曜日に仏さまがいるんです。

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私が生まれた土曜日の仏さま↑